応援歌
未知へ、道へ。
知れよ今を
進めや、
声高に撒き散らして。
全てへの応援歌。
喉を枯らすほど届かせる。
生きているここを響かすためにある。
何も
かも
2008.01.29 | | Comments(0) | Trackback(0) | 言葉
未知へ、道へ。
知れよ今を
進めや、
声高に撒き散らして。
全てへの応援歌。
喉を枯らすほど届かせる。
生きているここを響かすためにある。
何も
かも
2008.01.29 | | Comments(0) | Trackback(0) | 言葉
かじかみそな両手をポッケに突っ込みながら
冷たいくうきのなか歩いてたら
ふと
この両手がなかったら、
と
いうことを考えてしまった。
この手がなければ
パスタだって作れないし
あなたを抱きしめられないし
いまやってる仕事だって出来なくなるし
手をつなげない
手をのばせない
英語の勉強もどうやったらいいかわかんないなぁ
自由に歩ける両足があって
どこへでもひとりでに行けるからしあわせだ。
向かう方へ。
見上げれるそらがあって
見つめられる目があって
あなたの声と音楽を聞く耳があって
音楽があって
このからだは今日も生きていて
熱を発していて
消費して生成して更新されて
私はまだ未確定に向かってもわもわと広がることが出来る。
何かが欠けてしまうことが不幸だとは言えないけれど、
ただ満ちているいまをしあわせだと言うことはできるな。
言っていいよな?
外は寒い。
このからだはあったかい。
なんてしあわせなことだろう。
こんなにしあわせでだいじょうぶだろうか。
まいっか。
2008.01.28 | | Comments(0) | Trackback(0) | 日々
どうも、ありがとう、
ここにいない人へ。
どうも、ありがとう、
今日も、ここにいる人へ。
なぁ、なぁ、なぁ、
彩りたいんだ、目にさぁ。
パープル、イエロー、オレンジ、まぁ、まぁ、まぁ、
色、
取り返すパーティーへ。
グリーン、ローズ、ネイビー、まぁ、まぁ、まぁ、
まぁ、来てって。
2008.01.26 | | Comments(0) | Trackback(0) | 音楽
息のつかいかたがいとおしい。
いきものとして、すてき。
りゆうなんて遠いところにおいてきた
たぶん、それだけのこと。
2008.01.22 | | Comments(0) | Trackback(0) | 日々
さいきんことばがおおすぎるよな、自分さ。
ギターのコード
G
B
F
D
ちょうカンタンにハッピーです
押さえるだけで音が鳴るなんて!
音色が世界を救うよ、きっとさ。
笑い飛ばすんだ、とばしてやんだ。
ね、
弱虫だぜ。
かっこわらいかっことじる
くらいで
鼻歌。
ちょっと涙目。
今日はセブンスター聴きながらハイライト吸ってる。
![]() | セブンスター 中村一義 |
2008.01.20 | | Comments(0) | Trackback(0) | 日々
乾いたページを
めくる
かさかさと音を立てて
日々が息を吹き返す
あまりに青い空の
色を呪ったのは遠い過去
火照った頭で外を見つめて
(ため息は無色透明)
息苦しい思考回路を向こう側に放り投げた
(声は水に溶ける)
真実なんて自分の中にすらないってことに愕然としたあたしは
とにかくすべて忘れたかったのだ。
(事実だけが確固としてカタマリとして存在して
真実は虚像のように
もろくて
見いだすしかなくて)
もっと切れ味のよいナイフで付けた傷だったら
きっときれいな血がでたにちがいない。
感情の輪郭ばかりが目立つあの日のこと。
息の吸い方をすこし覚えた。
そのコツは
「ただ吸うこと」。
「ただ吐くこと」。
「それを疑わないこと」。
「それを許すこと」。
生きることと生まれたことに疑問を投げかければ
答えなんてない問答に身を浸すだけで
頭弱くて行動力もないあたしには
立ち止まる言い訳にしかならないんだ。
見たい世界が在るなら
歩くしかなくて
手に入れたいものが在るなら
手を伸ばすしかない
もし叶わなくとも。
可能性という名の嘘が
99%以上の確率で確実に駄目だって
目の前に立ちはだかったとしても
虚像を見いだせるか
嘘を信じられるか
それができるかできないかが
つまり夢を見れるかどうかってことだろ
見た自分をどこまで肯定できるか
ってことが命の先を左右すんだろ。
命の先、つまり意志。その力のはたらくところ。
「賭け通し貫いて自分の運命を生きなければならない」
by 岡本太郎。
色が走り出した
のがすな
今だ
逃げ出すように
駆け出せ
2008.01.19 | | Comments(0) | Trackback(0) | 日々
きれいななみだはなにもよごさない。
それでもって肯定しよう。
最低ラインから見上げた空の高さは
まるでふゆのそら。高くて
空気が凍るようで きらきら。
いつか
傷つけたことも
憎んだことも
間違ったことも
許される日が
来ないのだとしても
あたしはあたしとして生きよう。
(笑)。
都合の悪いことは忘れるし
大事なものも取りこぼしてく
ただ
すべてのネガティブな要素をポジから見れるんなら取りあえず勝ちだ。
すべての間違いと罪をそれで受ける罰を笑って抱き入れられるなら
それができたなら
何もこわいことなんかないんだ。
あたしはあたしを肯定するために生きている。
すべてを肯定するために死んでいく。
救いはどこかにあるものじゃない。
きっかけを見つけたら死んでも離しては駄目。
そこから自分を救い出すのは自分なのだから。
2008.01.15 | | Comments(0) | Trackback(0) | 日々
ほんとうはあなたのそばにいたいだけなんだ。
そう願うことが弱さの現れや依存症だとしか思えなくて
それを罰するべくあたしは知らんぷりして日々を過ごす。
そんな自分じゃ自分を許せないから
胸張って会えないから頑張る。無駄に。
枯れていく空に浮かんできた月が
細すぎて胸に刺さりそうだ。
2008.01.14 | | Comments(0) | Trackback(0) | 日々
言葉で世界はひろがるけれども
その世界では息を失うこともあるから
白い箱に入れて蓋をする。
ひっそりと 無音室へ
身を染めたのは
言葉ではないもの
空気のような匂いのような
それでいて鮮烈で
体の細胞のひとつずつに食い込んでいる
感情。
その色に
目を見開く。
あらわせないもどかしさで胸が苦しくなる
そこでは全てがイメージ。
それ以上もそれ以下もない世界
伝えられないから永遠に孤独。
粘土みたいにこねくりまわして
なんとか形にしてはみたけれども
ああ圧倒的に全てが足りないよ。
どうしたら
あたしの外に出せるのかしら
「 」
は。
2008.01.09 | | Comments(0) | Trackback(0) | アート
変に造語とかじゃなくてまっすぐシンプルな名前だからきれい。
SUNAO
このカトラリーはすっと手になじむし、偉そうじゃなくて、しかもシンプルで綺麗。
まだナイフは持ってないけど揃えていきたいと思う。
日本人の食卓に合うように設計されていると言う。
箸を一緒に並べることも考えた長さだとか。
この佇まいにはやさしさとかちょっとした心遣いが息づいている。
そんなものと一緒に暮らしたいと日々思う訳です。
sunaoに。やさしく。ここちよく。
2008.01.05 | | Comments(0) | Trackback(0) | モノ語り
つながれないわたしたちは
つながることにひっそりと猛烈に憧れている。
確かなものでなくて良い
ただやんわりと そこに ふと 感じられることが出来たら。
そう。
あきらめた上で焦がれる。
乾いている塵とゴミが視界をぼかす空気の中で。
真実を見つけるのはいつもそんな中のふとした一瞬だったりする。きっと
そこで手を伸ばせるか
それでも前へ行けるか
そこがきっと問題になる
そんな気がするね。
決意、みたいに確固とした何かでなくても良い
ただ願いのようにそばに置いておけるかどうか。
欲しがることは
つらいから
みんなあきらめるのだ。
願いが
意味を持たないなんて
力を持たないなんて
信じれなくなった奴がきっと負けなんだ。
嘘でもあたしはそう思う。
そう言い聞かせて
願いを自分に刻み付ける。
2008.01.03 | | Comments(0) | Trackback(0) | 日々
「あたしの体の外に出た瞬間からあんたは他人なのよ」
と母に言われながら育ってきた。
だからといって冷たくされたり、保護されずに育ったというようなことはない。
ただ、そういう育て方でいきますからね、という宣言だった。
いま思えばそこには、
母として完成品として見られてもらっては困る、という、人間らしい、母の逃げがあったように思う。
逃げ、というか、境界線、というか。
あたしはここまでしかできないってわかっておいてね。というような。
多分、母は“わかりあえない”ということを最初から明記しておきたかったのじゃないかしら。
家族の意識の中の「家族のあり方」の中に。「人としてのあり方」の中に。
わかりあえないことを最も恐れるが故に。
わかりあえないことを自らに言い聞かせるかの様に。
(私たちはお互いに知らないことが在りすぎる。
見えないことが多すぎる。
それなのに分かったような気になるとあとで痛い目を見る。
そうでないとしても傷つける可能性は十二分にある。)
(母の育て方がうまくいったのかそうでないのかはよくわからないけれど、
わかりあえない、そう諦めた上での優しさは本当に果てしなかったから私はとても恵まれている。
そういう優しさを受けながら生きて来れたことを誇らしく思う。
そう育ててくれた母という存在を誇らしく思う。)
わかりあうことをゴールにするのは息苦しいことだと思う。
わかりあえないとしても、私たちが本当に他人だとしても、
つながれる何かや、与えることが出来る何か、気持ち良く、楽しく、共に生きていく術はあるのだ。
ないとしても、ある可能性はあるのだ。
私たち家族はそれをずっと探してあっちこっちにもたもた行きながら
形を変えながら、でも崩壊はせずに此処まで来ている。
そして奇跡的に、それなりに愛しあうことが出来ているような気がする。
家族の中でいちばん最後に産まれた私は、何にもせずただ生きて生かされてきただけだけれど。
「 他人だから。
の
諦めのその上に
その辺りに答えがある気がするんだよ。
あきらめ。ジエンド。
じゃなくてさ。
そこに
けど、
を付けたい。
だけど、を。
そこに真実が宿る気がする。
真実に働くちから、というものも。 」
なんてね。
2008.01.03 | | Comments(0) | Trackback(0) | 思考
父がかぼちゃを好きでないと初めて知った。
母がコーンスープは飲めてもサラダについてくるコーンが食べれないと初めて知った。
兄が黄緑色が好きだと初めて知った。
新年早々初知りばっかりでした。21年一緒に生きているのにね。
知らないことってたくさんあるんだね。
いちばん知ってるような気になってて実は知らない存在かもしれない。家族って。
ふしぎだねぇ
2008.01.03 | | Comments(0) | Trackback(0) | 日々
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