自分のことメモ

■つながる、にあこがれる

もともとちっちゃい頃から内弁慶だったので、つながることにひどく憧れていたような気がする。
みんなの人気者、笑わせるキャラクター、人前に堂々と自分として立てる人。
ただ、そういう人たちにはことごとく嫌われてしまうのが私の特性で、
それがひとつずつ、ものすごく悲しかったことが忘れられない。
ほんとはそういう人に気に入られたかったのに。
たぶん「気に入られたい」という感情って、そういうひとたちには邪魔だったんだろうね。
今は、できるだけ「気に入られる」ことより、「どうしたら同じとこに立てるか」を考えるようにしてる。それなら自分の範囲で行けるとこまでは行けるはずだから。


■じぶんを飛び込ませるくせにその先が続かない

臆病ものだったけど、プライドが高いものだから、任されたら自分なりにやろうとはしてきた。むしろ任される方を選んできたような気もする。
きっかけがないと動けないほどに怖がりで引っ込み思案だったからこそ、そんな自分が嫌で嫌で仕方がなかったからこそ、飛び込もうと必死で。怖がりな自分をなんとか追いやって。
それが結局逃げ込んだり、泣き出したり愚痴り出したりで上手く行かなかったことも多々あった。
今は少しマシにはなったけど、本質はあんま変わってないなぁと思う。
詰めが甘いのだ。要は。
結局最後にあらわれる自分に負けてしまう。そこは今後の課題。


■向き合いたい、そこで出会いたい、しかもつながれたら最高だ

どうやら自分は憧れる人たち(憧れる何かを持っている人たち)にはとうていなれそうもない、と知った時に、
「じゃあどうすれば自分は自分の持ち物でそういう風になれるか」
「自分にできることで対等に立てる術はないか」
と考え始めた。誰にもできないことか、自分が少しでも得意と思えるようなこと。
それが「肯定」や、「見抜くこと」、「シンプルと混沌を行き来する」ことなんじゃないかと最近思うことがある。
というか、見つめることが好きだったんだね。もともと。多分。
誰かに向き合ってほしいと思ってたから、怖くても自分は向き合おうとしてきたつもりだし、向き合うこと自体が好きだった。

誰かとつながれる時っていうのは、いつもシンプルなところでだった。
それなら、その人の中のいちばんシンプルなものを見いだすことができたらいいんじゃないかって思ったんだろう。いつの間にやらそういう思考回路と直感がうまくつながるようになった気がする。
こんがらがったものをほどくように、混沌の奥に光を見いだすように誰かを見つめたい、何かを見つけたいと思うようになった。
それがいま「デザインで人に向き合いたい」という理由につながっている。
次の目標はそこで見つけられたものを表現する力をつけること。
結局カタチにできなかったらそこで終わりだから。


■信じることは賭け
■笑い、が救い

書きかけてとちゅうでやめます。ねむい。
またあした続きを。


2008.04.24 | | Comments(0) | Trackback(0) | other

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