生と死
なんとなく帰り道に死んだばあちゃんのことを考えてた。
ら、
ばあちゃんと同じ死に方をした人のことを、
たまたま同じタイミングで、
写真家の大橋仁がブログに書いていた。
以下、引用。
◆
命とは、生と死の間を行き来しているもの。
命の動く両端に、生と死がある。
死だけが恐怖や絶望ではなく、
生だけが希望や、喜びに溢れている、というモノでもなく、
全ては時間の中で、
淡々と続いていく一連の流れの中の一つの動きでしかない。
◆
そうなんだよ、そう。
なんであたしが生きてて、死んでる人がいるんだろって
さっき考えてたんだよ。
全くネガティブな意味ではなく。
ただ淡々と続く日々について。
死にむかって何したらいいんだろうってさ。
生まれた以上、どうしたらいいのかねって。
とても軽やかに、考えていた。
もちろん答えはでないんだけどさー
◆
何に急ぐ理由もないことだけに焦ってはいる。
無目的。しかし笑っていたいのでそのことだけは重要視。
◆
さっきの引用はこう続いてしめられる。
後はそれぞれの人生のどのタイミングでそれらがやってくるのかと言う事。
お茶を飲んでいるか、死んでいるか。
しかし、我々に備わっているそれぞれの、感情、という不思議な性能が、
それぞれの人生の音を鳴り響かせている。
◆
「それぞれの人生の音を鳴り響かせている」
それがすべてでそれしかないじゃんねぇ。
って笑ってしまう。
ほんとそれだけの世界。
シンプルすぎてめっちゃむずかしいんですけど、神様。
知ったこっちゃねーって言いたい。
けど生まれ落ちた以上、
心臓のビートが止まらんのよね。
足音が、進む度にマーチのようにつったかた。
生きている以上音を鳴らしてしまうので。
できればそれが響くような
できればしあわせに、
不協和音でくずれたリズムでも
鳴りつづけるような日々であればいいなって。
◆
大橋仁はものすごい写真を撮ります。
写真で泣きそうになったのはこの人の写真と、
セバスティアン・サルガドの写真くらいじゃないかな。
この写真、買おうと本気で思ってます。
どちらの写真家の撮る作品も、
生や希望がけしてポジティブではない、
そしてそれ以外がネガティブというのでもない、
そういう地平の写真、という気がする。
そこだけに真摯に向き合うことに逆らえないまま、そこに宿るいのち。
簡単に希望とかって呼んではいけない光の名前について。
スーパー・ニュートラル。
そういうとこに行きたい。
無理矢理に笑うのではない生き方で、
とてもシンプルに。
2008.06.13 | | Comments(0) | Trackback(0) | 思考
